「あ、そうかも…え、怖い、誰なの?
コウくんなんで気づいたの?」

「え、なんか覗き込んでたわ、
ジムん中」

「え、誰?怖い。
奥さんじゃないの?」

「いや、違うよおっさんだったし」

「だから、奥さんが知り合いに頼んで調べてるんじゃないの?それか探偵とか…」

まさか…と彼はひとりごとのように呟いて、
しばらく黙り込んだ。

話は1か月ほど前に遡る。

わたしがジムから帰ろうと駐車場に行くと
駐車場から見覚えのない車が出ていった。
ジムの営業時間はとうに終わっていて
今まで、わたしの車以外が駐車場に停まっていたことは無かった。

もちろんすぐに彼にLINEで伝えたが
誰だろう?知らない、と
天然な彼は本当にわからないようで
わたしは言葉にはしなかったけど
奥さんの関係か、探偵などではないかと思っていた。
ともかくそれ以来、
彼は帰りに駐車場までわたしを送ってくれるようになり
それきりその不審な車を見かけることもなく
少し忘れかけていたのだった。

「でもそれくらいしか考えられなくない?
バレたんじゃないの?」

「まさか…。車も違うし…」

「なんで言い切れるの?もしバレたらどうするの?」

「バレてもなんも変わらないよ、別に…」

「いやいやそんなわけにはいかないでしょう。
会うなって言われるよ?
言われたらどうするの?」

彼は一瞬動揺したような目の動きを見せたが
そのまま少し考え込んで静かに言った。

「バレても、優先する。
未都を優先する。」

彼は自分の気持ちを確認するように
まるで独り言のように呟いてわたしを引き寄せて
自分の胸の中にスッポリと収めた。

「うん。未都の方が大事」

「だったら…」

わたしは思っていたことを言葉にした。

「だったらちゃんとして?
もう嫌だよ、こんな関係は嫌。
こんなの延々と続けらんない…」

「分かってるよ。
俺だって、だからもっと一緒に居られるようにしたくて
色々準備はしてる」

「準備って?どんなこと?」

「まずは金稼がなきゃって思ってるし、
仕事の方も親父とやってる方を秋ぐらいには
会社にしようと思ってるし」

「うん。聞いてる。
でもそれだって、もし会社にしたら、
奥さんのことを
取締役にするんじゃないかなって
わたし思ってたよ」

「いやー、それはないわ」

彼は思いもよらなかった、と言うふうに
かぶりを振った。

「本当?」

「本当だよ。あ、ただ…」

「ただ、何?」

彼は少し言いかけて止めようとしたので
わたしはすかさず突っ込む。
言いかけて止める癖があるのを
いつの間にかわたしは知っていて
言い逃れさせない術も身につけていた。

「ただ、未都と一緒に会社立ち上げたら
どんな感じかなぁって
考えたことはあるわ…」

「え、それは嬉しい。
…ねぇコウくん。
言ってよ。そう言うの全部。
言ってくれなきゃわからないんだよ?
いくらそんなふうに思ってたって
言わなきゃわからないんだから。
言ってくれないとわたしは妄想するし
妄想で苦しくなる。
会えない時間にコウくん何してるのかな、
奥さんと仲良くしてるのかなって」

「無いわ。触んないし。
そもそも会話もないし。会わないし」

「でも休みの日は?」

休みの日…?
彼は少し戸惑ったようにそう繰り返すと

「二、三言かなぁ…」

じゃあ別に険悪でもないじゃん、とわたしは呟いて

「夜ご飯は?」

と聞くと

「夜ご飯?
まあ買って帰ることもあるし、
たまに作って置いてることもあるかな」

たまにっていつ、とわたしが間髪入れずに問うと
え…週2回くらい…かなぁ
でも寝てるよ、
と彼は答えて、
週2回ってたまにじゃないじゃん、
とわたしの心はやさぐれた。

「コウくんは、どうなりたいの?
奥さんと」

「うーん…
年取っても生活に困らないくらいには
支援してやりたいとは思ってる」

この前一度話したときに
わたしが彼が奥さんのことをどう言おうと怒らず冷静に聞き入れたからか
彼は本音を話した。

「じゃあわたしたちはずっとこのまんま?
それならわたしは無理だよ、
こんな気持ちで何年も居られないし
もうそろそろ限界だし。
だから前にも言ったよね。
それで奥さんを選ぶなら選ぶって言って。
わたしにもわたしの人生があるから」

「分かってる…。
だからもっと一緒にいられるように
俺も色々仕事の仕方とか考えてる」

彼が決して離婚と言う台詞を口にしないことに
わたしは傷ついていた。

彼をそれだけ縛り付ける存在の女性が居るなんて
目の前にいる彼からは信じられない。

「一緒に暮らせる?」

「暮らせるよ」

「ほんと?信じていいのね?」

言いながらわたしはちっとも彼の言葉を信じていなかった。

彼を縛り付けるものは何なんだろう?
奥さんと彼は一体何で繋がってると言うんだろう?

まずはそれを知ること。
そして彼が離婚を選べない理由を探り、
それをひとつ一つ潰していく。
わたしにできることはそれだけだ。
そうやって今までも生きてきた。

「とりあえず、バレても別れないって決意は見えて
良かったわ」

わたしが言うと彼はうん、と言った。

「じゃあバレてもわたしに連絡する手段、
考えてね」

バレて取り乱す人じゃなければ
バレるのもありかも、と
わたしは少し思ったりもする。

彼がわたしのことを好きなのは本当だと思う。
彼からの溢れんばかりの愛をいつも感じている。

だけど
彼の優しさと優柔不断さが
結婚という選択をしてしまった彼の決意を揺らがせているのも事実で
愛はなくても責任のある存在が
確かに居ると言うのも分かった。

それでも。
つい数ヶ月前までは聞きたくても聞けなかったことを
わたしはつぶさに聞くことができるようになった。
進んでいると思う。